西の懺悔月

関西のニシノは博学才穎(さいえい)、平成の始年、若くして名をテレビ欄に連ね、ついでゴールデンタイムのレギュラーに補せられたが、性、狷介(けんかい)、自みずから恃たのむところ頗すこぶる厚く、芸人に甘んずるを潔いさぎよしとしなかった。

 いくばくもなく芸人を退いた後は、くりえーたーに転職し、テレビとの交まじわりを絶って、ひたすら絵本創作にふけった。ひな壇芸人となって長く膝ひざを俗悪な大物の前に屈するよりは、絵本作家としての名を死後百年に遺のこそうとしたのである。

 果たして、文名は容易広まり、生活は日を逐おうて楽になる。しかし、悪評は広まるばかり。李徴は漸ようやく焦躁に駆られて来た。

 この頃ころからその容貌ようぼうも峭刻しょうこくとなり、肉落ち骨秀ひいで、眼光のみ徒いたずらに炯々(けいけい)として、かつてテレビに台頭した頃の豊頬ほうきょうの美青年のおもかげは、何処どこに求めようもない。

 数年の後、悪評に堪たえず、己の名誉の挽回のために遂ついに節を屈して、再び東京へ赴き、一地方レギュラーの職を奉ずることになった。

 一方、これは、おのれのくりえーたー業に半ば絶望したためでもある。かつての同輩は既に遥はるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙しがにもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何いかに傷きずつけたかは、想像に難かたくない。彼は怏々(おうおう)として楽しまず、狂悖(きょうはい)の性はいよいよ抑え難がたくなった。

 一年の後、地方営業で旅に出、琵琶湖のほとりに宿った時、遂に発狂した。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出かけだした。彼は二度と戻もどって来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後ニシノがどうなったかを知る者は、誰だれもなかった。

 翌年、九州地方、福岡市の大吉という者、使命を感じて東京に使つかいし、途中に琵琶湖の地に宿った。次の朝、まだ暗い中うちに出発しようとしたところ、後輩が言うことに、これから先の道に人喰虎が出るので、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜よろしいでしょうと。

大吉は、しかし、仲間がたくさんいるので、後輩の言葉をしりぞけて、出発した。

 残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎がくさむらの中から躍り出た。虎は、あわや大吉に躍りかかるかと見えたが、たちまち身をひるがえして、元の草むらに隠れた。草むらの中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟つぶやくのが聞えた。

 その声に大吉は聞き憶おぼえがあった。驚いている中にも、彼はとっさに思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、ニシノではないか?」大吉はニシノと同年に東京へ進出し、友人の少かったニシノにとっては、最も親しい友であった。温和な大吉の性格が、峻峭(しゅんしょう)な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。

 草むらの中からは、しばらく返事が無かった。しのび泣きかと思われる微かすかな声が時々もれるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は関西のニシノである」と。